三時間目って授業何やったっけ…。誰もいなくなった教室に、一人残って日誌を書く。 聞こえるのはシャーペンを動かす音と、グラウンドから届くテニス部の掛け声。 もう大分日が伸びるようになった。初夏の風が教室に舞い込み、静かにカーテンを揺らす。 微かな足音が聞こえ知らず体に力が入った。思わず逃げたい様な衝動を抑える。 「もう書き終わりますか?」 穏やかな声で聞いてきたそいつは、俺の前の椅子にゆっくり腰掛けた。 「…もうちょい」 誰もいない放課後の教室。初めて二人で喋ったのもそういえばこういう状況だった。 でも今はあの時とは違う緊張をしている。 「あのさ…直江」 「はい」 「彼女いる?」 「…いませんよ」 嘘なんかつかなくていいのに。俺にくらい、教えてくれてもいいのに。 「この前、駅前で見たんだ。仲良さげに歩いてるお前と美人な女の人…。付き合ってるんだろ」 あの光景を思い出す度に胸にドロドロした物が渦巻いて、気持ち悪い 。 誤魔化すようにカチカチとシャーペンの芯を出したり戻したりする。 直江は「は?」という顔をした後、目を見開いた。 「違います」 「違わなくねーだろ」 奥歯を強く噛み締める。やばい、泣きそう。 「ごめん…俺、今まで本当無神経だった。…彼女いたなんて、知らなくて」 段々と顔を見ていられなくて俯いてしまう。 頭がグチャグチャしてパンクしそうだ 。 「もう直江ん家、行かないから…」 「高耶さん!」 シャーペンを握り締めていた手を強い力で握られる。おどろいて顔を上げると、珍しく直江が焦った顔をしていた。 「誤解だ。あなたが見た奴は 俺の従兄妹なんです!」 「いとこって…いと子って誰だ!」 「名前じゃなくて従兄妹です!父方の親戚で、門脇綾子といいます」 「……え」 え。従兄妹? 「彼女なんかじゃない。…泣かないでください」 「泣いてなんか…」 いつの間にか傍にきた直江が、跪いて俺をぎゅうっと抱きしめた。煙草の匂いに包まれる。 「ちょ…!」 「だからもう家に来ないなんて、そんなこと言わないで」 直江は小さく呟くと、大きな掌で俺の頭を撫ぜた。 「さ、もう帰りましょう。帰って桃を食べないと」 そうだ…桃。食べに行くって約束してたんだ。 体を離した直江が机の日誌を閉じる。俺は釣られたようにバックを持って立ち上がった。 閉まっている扉を開けようとしたが、直江が取っ手を押さえたので叶わなかった。 「高耶さん」 振り返ると顔の横に手をつかれ、腕の中に閉じ込められる。 「彼女はいませんが、好きな人はいます」 そう言って屈んだ直江が何をするのか分かったが、あまりにも真剣な顔に避けることができなかった。固まる俺の唇に、直江のが触れる。 「あなたが好きだ」 運動部は部活を終え、外はいつの間にか静かになっていた。 「な……」 なんで、 「なんで今言うんだ…」 みっともなく震える声。 直江は申し訳なさそうに謝り、もう一度俺を抱きしめた。 「俺はズルイ男です。今を逃したら、あなたを俺のものに出来なくなるかもしれない…」 それに、と耳元で低く囁かれる。 「ヤキモチ、妬いてくれたんでしょ?」 男同士とか先生と生徒とか年齢の差だとか。そんな禁忌を一遍に犯しそうな俺たちは、放課後の学校の片隅で見つめ合っていた。 next |